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あいすまん

あいすまん

壕の中から聞こえる声

壕の中から聞こえる声

宮城隆尋

 ガリ、ゴリ、ガリ、ゴリ、ガリ。ゴ、ガリ、ゴリ、ギコリィ。
ノコギリを挽く音がする。時折、鍾乳石に反響する断末魔の叫びに雑じって。視界のない闇の中で、ひたすら聞こえ続けていた水の流れる音を掻き消す。外界の光が差し込むことのない洞窟の奥深く。そこらに放置されたおびただしい数の死体と垂れ流される排泄物と生きたまま腐れ続ける傷口からの常軌を逸した悪臭と、ウジが人の体を齧るカリカリという音と永遠に続く水の音に、嗅覚と聴覚が支配され、視界は失われている。極度の空腹と友軍への失望、闇と、そして死の恐怖の中で聞こえてくる「切断手術」を受ける負傷兵の叫び。
広大で、冷たい闇が支配する空間。鉄の暴風が吹き荒れる地上から隔絶され、自然のシェルターとなっていたという玉城村の糸数壕。懐中電灯一本で半世紀以上薄れぬ怨念の澱んだ闇の中に溶け込み、わたしは井戸の跡、死体置き場跡、流れる水の中乱立する鍾乳石、その一つ一つから脳内に入り込んでくる死者の声に恐怖し、戦慄を覚えた。そこには小学校から延々と受け続けたビデオ等の平和学習には無いリアルさ、わたしにとっての戦争(擬似)体験があった。またここに戻ってくる破目になるような気がして、ライトを持つ手に汗が滲んだ。
米中枢同時テロの報復に国家の威信をかけるアメリカ、それに盲目的に追従することで後の憲法改正を睨んでいるかのような小泉首相の物騒な物言い。昨今の日本国民の愚民ぶりは、人口一億二千万人の国で六百万枚という宇多田ヒカルの馬鹿げた売れ行きや、県民には何の利益も無いどころかそこら中検問だらけでスパイ視されながらカチャーシーに浮かれていた沖縄サミットのお祭り騒ぎ、おばさん二人の喧嘩に国中のマスコミが血まなこになって報じたサッチーミッチー騒動などいたるところに見られる批判精神の無さに象徴されている。マスコミから提供される情報に疑いも持たず消費するだけの愚衆が、このまま踊らされ続けて台頭著しい戦前回帰ムードをも受け入れたとき、まだ左翼全盛の世にあって「国民の皆さんに日本は天皇を中心とした神の国であるぞということを承知していただいて」というような発言をして撤回せずに押し通した森良朗は、逆境の中意地を通した偉人として『国民の歴史』や『新しい歴史教科書』に載るのだろう。
長年平和を訴えてきたはずの沖縄が、サミットを機に基地を受け入れ、全戦没者追悼式典に米四軍調整官を招いた。「平和の礎」という名の「同盟の靖国」がある日米同盟の前線基地。という位置付けで沖縄の戦後は終わるのだろうか。
定期的に婦女暴行事件が起き、少女がさらわれては死体で発見されるような島に生まれ育ち、ここで暮らしていくことを考えると、いかに不自由が多いか。夜道を歩くたび、自分の姉や妹、恋人、妻や娘が被害にあわないか警戒しなければならない。海兵隊員にとっては、日々の辛い訓練の合間に慰めてくれるイエローキャブにあやかりたいと思うのかもしれない。お金が無かったのかもしれない。仕方なく馴れないナンパに出たら振られてしまったのかも知れない。そこにちょうど劣情を誘うような服装の女性が通りかかったのかもしれない。暴行しても殆ど罪を咎められないということを知っていたから歯止めが利かなかったのかもしれない。しょうがないのかもしれない。戦略上の重要拠点なんかで生まれ育った私たちが悪いのかもしれない。突発的に発情してしまった米兵は何一つ悪くないのかもしれない。神は全てを許したもうたのかも知れない。
復帰前には、毎週金曜日の夜に基地から住宅街へくりだし、守る夫の居ない戦後未亡人の家を次々に襲い、婦女暴行を繰り返していたとか。至る所で日常的に行われる米兵の暴行は最早事件の一つに数えられなかったとか。
戦争体験の無いわたしに戦争のことはわからない。しかし壕には戦争が封じ込められている。半世紀以上も洞穴の中滞った空気が、伝え聞いた戦中戦後の話が嘘でないことを、未だなお語り残された悲劇が埋もれているんだということを訴えかけてくる。そして壕の外では何が悲劇をもたらしたのかを忘れようとする人々が世の中を動かしている。闇の中で今なお呻吟する魂は、繰り返される歴史をどのように見つめているのだろう。


初出:『沖国大文学』第3号(沖縄国際大学文芸部 2002.3.29)



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